キダ・タロー先生スペシャルインタビュー

アサヒペンのCMでは定番となっている
「オーマイカラー」。
作曲いただいた経緯や背景を
「キダタロー先生」に
インタビューして
迫っていきたいと思います。

Q. いつ、どこからの依頼で制作いただいたのですか?
1960年頃、私が30代の血気盛んな頃です。朝日放送の「CMスポット・コンクール」という十数年続いた人気企画で、CMを作りたいという企業を募集していました。その中からアサヒペンさんが選ばれ、私がCMソングの制作を担当することになったんです。
Q. 作曲される時、すでにアサヒペンをご存知でしたか?
存じ上げていなかったんですが、モダンな会社だろうなというイメージをもっていました。「アサヒペン」という社名が非常に印象的なんですよね。塗料だからアサヒペイントになりそうなところ、ペンとなっている。そこがいいんですよ。
Q. 曲作りの時に、すでに歌詞はありましたか?
はい、歌詞が先にありました。ひと目見たときに「とてもいい歌詞だ!」と感じたことを今でもはっきりと覚えています。私が作った数千曲の中で、この歌詞は10本の指に入る作品です。特に出だしの「オーマイカラーアサヒペン、マイホームアサヒペン・・・」が実に素晴らしい!作者は天才だと思いますよ。
Q. 作りはじめてどれくらいで出来上がりましたか?
とても早くできました。詩には重要な核になる部分「詩のヘソ」というものがあるんですが、最初の1行「オーマイカラーアサヒペン」がヘソです。そこから湧いてくるイメージが短調だったんです。CMソングは強く明るい印象を伝えないと行けないんで長調が基本です。何度も長調にしようと試みましたが、そこは絶対に変えられなかったです。よし、短調で行くぞ!と腹が決まれば、一気に曲作りが進みました。ヘソができたらほぼ完成、後は流れるように出来上がっていきました。
※長調はきれいな音階で、強く明るい印象を与えるのに対して、短調は暗く、悲しい印象を与える音階。
Q. 曲作りされている中で、何かエピソードはありましたか?
一流シンガーの「スリー・グレイセス」という女性3人グループが唄うことが決まっていました。私も大好きで、気合い入れて曲を書きました。収録には是非とも立ちあいたかったんですが、収録スタジオが東京でスケジュールが合わなくていけなかったんです。それがとても残念でした。
Q. 出来栄え、満足度はいかがですか?
とても満足しています。私はCM曲を作る時に、その企業の社長になったつもりで臨んでいます。「この会社の悪口をいう人間がいたら絶対に許さない!」そう思うほど、まるで身内になったような感覚です。だからアサヒペンさんもこのCMソングも大好きです。コンサートでは必ず演奏しています。

2010年12月1日に発売された「キダ・タローのほんまにすべて」は、幻の音源や初CD化となる楽曲を加えたアルバム。CD3枚組みとなっており、100曲+ボーナストラック1曲を収録されています。

キダ・タロー先生インタビューの様子
アサヒペンさんのCMソングは私の黄金期の作品です。
キダ・タロー先生サイン色紙

インタビューの記念にサインをいただきました。

profile

キダ・タロー先生

◇本 名:木田太良(きだ たろう)
◇生年月日:1930年12月6日(5男1女の末っ子)
◇出身地:兵庫県宝塚市
◇出身校:関西学院高等部卒業(関西学院大学社会学部中退)
◇血液型:B型
◇趣味:読書・ゲーム

高校在学中、長男の遺品のアコーディオンに触れ、次男のレコード好きで
音楽に目覚める。
高等部3年の時、タンゴバンドを結成しアコーディオン担当。
レパートリー3曲でよく駆り出される。
メンバーには俳優の藤岡琢也さん(ヴァイオリン)がいた。
19歳関西学院大学を中退し義則忠夫とキャスバオーケストラ』のピアニストとして10年活動
大阪難波のキャバレー『パナマウント』の曲にて初作曲

1964年結婚。 同年『ふるさとのはなしをしよう』作曲
1973年ABCラジオ『ABCヤングリクエスト・ミキサー完備!スタジオ貸します。』
1973年ABCラジオ『フレッシュ9時半!キダ・タローです』
1989年ABCテレビ『探偵!ナイトスクープ』(岸和田の音痴な信号機)にて初出演
1990年ABC探偵ナイトスクープのプロデューサー松本修氏から『浪花のモーツァルト』と称号を頂く。
(本人はモーツァルトよりショパン好き)
2022年7月『株式会社オフィスとんで』に所属

※キダ・タロー先生について詳しくは、こちらをご確認ください。

  • ●「オーマイカラー」フルバージョン

  • ●アサヒペンCMソング「オーマイカラー」

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